
日曜日の昼下がり。
オットとふたりで、とある家電量販店に行った。
あれこれ品物を見せてもらい、さんざん迷ったすえに、ようやく購入を決めた。
カウンターで保証期間などの説明を受け、了承し、サインして、代金を払う。
ただ今包装いたしますので、少々お待ちください。
定員のコトバに肯いて、背の高いスチール椅子に座りながら、ぼんやりと待つ。
狭いフロアに4人いる店員を見るとはなしに見ていると、
それぞれのワイシャツの胸に、同じような小さなバッジが。
[NHK運動]
エヌ・エイチ・ケー??
なんだろう、と思う間もなく、包装された品物が差し出され、
「ありがとうございました」という声に送られてエレベーターに乗った。
「NHK運動って」
言いかけると、オットが即座に笑って応じた。
「ニコニコ、ハキハキ、キビキビ。略してNHKだってさ」
はーん、そういうこと。
「でも、今のヒト、ぜんぜんNHKじゃなかったね」
「うん。ニコニコしてないし、ハキハキしてないし、キビキビしてない」
エレベーターの中に他人がいないのを良いことに、言いたい放題である。
「それなのに、別に感じが悪いとは思わなかったよ」
なるほど。そういえば、そうだ。
愛想がいいとは言えないけれど、決して仏頂面なんかじゃなく、
どちらかといえば、不器用で真面目なカタブツというタイプ。
てきぱきと、歯切れのいい応対ではないけれど、落ち着いていて、丁寧なヒトだった。
そう。不快感は全くなかった。
しばし、考えたのち、オットが言った。
「考えてみたら、ニコニコ、ハキハキ、キビキビしてるのって、本当に良いことなのかな?」
そう言われて、思い浮かべてみる。
ニコニコ、ハキハキ、キビキビしているヒトを。
オットが更に言いつのる。
「だってさぁ。それって、ハンバーガーショップの接客みたいなもんでしょ」
そういえば、いつだったか。雑誌に載っていた記事に大笑いしたっけ。
その著者は、昼前のまだ空いている時間に、ひとりでハンバーガーショップに行って、
「ハンバーガー15個下さい」と言った。
事務所のヒトたちの分をまとめて買いに行ったのだ。
と、いかにも手慣れた様子のバイトのオネエチャンが、
とびっきりの笑顔で、高らかに言い放ったのだそうだ。
「ハンバーガー15個ですねっ! こちらでお召し上がりですかっ?」
……。
何が悲しくて、ひとりでハンバーガー15個も食わなきゃならないんだよっ?!
と、そのヒトは、マニュアル通りの対応を、深く深く嘆いていた。
たしかに、ニコニコ、ハキハキ、キビキビしてりゃ、良いってもんじゃない。
NHKなヒトは、他にもいる。
究極は、銀座の飲食店をまわる「ツマミ売り」のオンナノコ。
店のドアをあけるなり、「こんばんわぁー!!」と底抜けに明るい声で言い放ち、
「わたしたち(彼女たちは、たいていフタリ組で来る)、
○△□(北陸とか東北の地名のことが多い)からやって来ましたっ。
今日はあなたに、とっても美味しいおつまみをご紹介たいと思いまーすっっ!!」
ニコニコ、ハキハキ、キビキビの大安売りである。
ここまでくると、もう、うさんくさいとしか言いようがない。
わけのわからない新興宗教の勧誘と、同じような匂いがする。
むりやりのNHKは、どこか哀しい。
マユツバものの明るさは、そこに潜んでいる影を際立たせる。
偽りの開けっぴろげは、きっちりとフタを閉じた貝のような心を思わせる。
重松清の「サマーキャンプ」という小説(新潮文庫「日曜日の夕刊」に収録)
の中にも、NHKなヒトが出てくる。
アウトドアが大嫌いな父親と、パソコンが大好きで成績優秀な息子・圭太(小5)は、
イヤイヤながら、「父と息子のふれあいサマーキャンプ」に参加する。
そこに、そのヒトはいるのだ。
サファリハットにバンダナにアーミーシャツにハーフパンツにハイソックスという
「アフリカの密猟者みたいなファッションの」インストラクター、リッキー。
(自称・もちろん日本人)
キャンプ場でパソコンを取り出す圭太に向かって、ぴぃーっとホイッスルを吹き、
イエローカードを取り出して、指を左右に振りながら、巻き舌で言う。
「おいおい、都会のもやしっ子、大自然の中じゃそんなものは役立たずさっ」
……。
この大自然のなかで、一番不自然なのは、アンタなんだよ。
ひねくれ者のわたしは、思わず、そうツッコンデいた。
金八センセイを目指す熱血女教師は、成績優秀でクールな圭太を、
「コドモらしくない」という。
出来が悪くても一生懸命頑張る「子どもらしい」子どもが好きで、
どこか醒めている圭太を、「一人っ子は協調性がないから困る」と決めつける。
インストラクターのリッキーは、
東京のマンションに暮らしているスリムな男の子はすべて「もやしっ子」だと思っている。
ものごとを「決めつけ」ようとするオトナたち。
彼らは、なんでも十把一絡げの束しにて、ひとつのひな形にはめこんでしまう。
そしてその「決めつけ」を、訳知り顔で押しつけてくる。
ニコニコ、ハキハキ、キビキビと。
都会のもやしっ子が、とつぜん、自然児になるわけもなく、
アウトドア大嫌いの父親が、急に、逞しい熱血漢になるわけもない。
ヒトのキモチには、マニュアルなんて、ナイ。
ひとつのモンダイに対して感じる心も、ひとそれぞれ。
ひとつの小さな胸のなかにも、さまざまなキモチが入り乱れている。
楽しいのに淋しいとか、悔しいけど嬉しい、とか。
マニュアルとかひな形からこぼれ落ちてしまうような、そんな感情を、
重松清はうまくすくいあげている。
だからこそ問題が解決しないまま、物語が終わってしまっても、納得できる。
たとえ、予定調和のハッピーエンドが待っているような物語であっても、
それを「押しつけられた」という感じがしない。
重松清の小説の良いところは、うそくさくないことだ。
「日曜日の夕刊」という「あり得ない」タイトルが示唆するように、
この短編集は、「ささやかなおとぎ話し」だと著者は言う。
だけど、これは子供だましのファンタジーなんかじゃない。
絵空事には、思えない。
真実や現実に裏打ちされた極上のおとぎ話は、ヒトの心をほっと緩ませてくれる。
あのヒトが、NHKなヒトじゃなくて良かったね。
量販店の紙袋を振りながら、オットと言い合い、ぶらぶらと歩く。
日曜のホコテンには、たくさんの家族の話し声や笑い声が飛び交っている。
この中には、自分の家族やこいびとに向かって、
NHK運動をしているヒトもいるんだろうか。
そんなのって、哀しいよなぁ。
そんなことを思っていると、向かいから、
短パンから生白い足を出した父親と、
ひょろりと痩せて利発そうな男の子が歩いてきた。
互いに仏頂面をした父と子は、それでも、しっかりと手と手を繋ぎあっていた。
日曜日の夕刊は、たしかにある。
