
透子のアボカドは、ほんとうに旨い。
そう言って、いつもあのヒトは、
とろりとしたバター色の果肉を薄い唇のあいだに滑り込ませては、
きんと冷えた白ワインをすすり、うっとりと目を閉じるのだった。
透子のアボカド。
そう。アボカドほど、熟れ具合を測るのが難しい食べ物はない。
「この色になったら食べ頃です」と、果皮に貼られた小さな黒いシールは言う。
だが、本当は、色などあくまで目安にすぎないのだ。
ごつごつと固い皮に、三日月のようなナイフの切っ先をすっと突き立てぐるりと割って、
真芯の種をえぐり出すとき。
若すぎれば、石鹸のようにがりがりと固く青臭く、
時を過ぎていれば、実はだらしなく崩れてしまう。
青く芳しく、とろりとしどけなく、今この時しかないという完熟の時。
その微妙な熟れ具合を、わたしは指先で探り当てる。
甲羅のように厚い果皮をそっとつかんだときの感触だけで。
その熟れたアボカドを、あのヒトはさも幸福そうに口に含むのだ。
もしかしたらこのヒトは、その一瞬の為にだけ、
この部屋に通ってくるのではないかと疑いたくなるほどに。
だからこそ、信じられなかった。
あのヒトの薄赤い唇が、さようなら、と動くなんて。
だからこそ、信じていた。
さようなら、なんて戯れ言だと。
あのヒトは、きっと又来る。
この部屋に、熟れたアボカドがある限り。
だから。
わたしは毎日アボカドを買う。
ごつごつと固く青く、掌に冷たいアボカドを。
ステンレスの流し台の上に、水を湛えたバスタブの中に、
ひんやりと湿ったシーツの上に、
ひとつ、ふたつと、アボカドは増えていく。
毒を含む緑青のような果皮の色は、
しだいに日暮れの森の深く沈んだ緑となり、やがて漆黒の闇となる。
刻々と熟れていくアボカドを眺めながら、わたしはひとり、待ちつづける。
蒸れた青い香りに促され、密やかに熟れていく。
置き去りにされた夜のように、とろりとしどけなく、朽ちていく。
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「ミ・メディア」刊行の際に寄せて頂いたオススメコメント
◆九鬼ゑ女さん
ココに転がっているのはただのアボガドじゃない。
それは、丹精込めて育てたものを一瞬のうちに枯らしてしまう愛だ。
そしてその愛にしがみつくのはミメオンナ。
ミメイさんに操られる女たちをあたしは密かにそう呼ぶ。
僅か800字のこの小品にはそんなミメオンナの吐息が充満している。
ねっとりした息遣いに塗(まみ)れながら
あたしは自分の舌先をもっと深い場所に差し入れてみる。
そしてにたり、ほくそえむ。
ああ。やっぱり…ミメイさんだ。
こんな風に「オンナ」を弄(いじ)るヒトにはそうそうお目にかかれない。
だから、いつだって絡み取られたあたしは
こうして彼女の細やかな目線で綴られたモノガタリについ舌舐めずりをしてしまうのだ。
「アボガド」はあたしの満足の逸品だ。
極上のエッセンスを嗅ぎながら、……あなたも、どうぞ召し上がれ。
―2002.9.11―
800字小説・テーマ「食べ物」
(これが一番最初の800字ではなかったか、と。
このころの「お題」は3つのコトバではなく、ひとつのテーマだった。
懐かしい)
