
ラプンツェルって知ってる?
彼女は、小さなトマトにフォークを突き刺しながら、そう言った。
唐突な問いかけにとまどい、思わずその形のいい唇を見つめてしまう。
子どもの頃に聞いたことないかしら。魔女の呪いによって、
高い塔に閉じこめられたラプンツェルという少女の物語。
オフィス街のざわつくランチタイムの喫茶店で、
彼女だけが異質だった。
ゆるやかにうねる栗色の髪、象牙色の麻のドレス、葡萄色の爪。
彼女の後ろで、うわさ話にわきかえる制服姿の女達が、
なぜかひどくすさんでみえる。
彼女は、周囲の喧噪(けんそう)などまるで耳に入らぬかのように、
白いランチプレートを見つめたまま、ゆったりと話し続ける。
塔には出口はなくて、てっぺんに小さな窓があるだけなの。
そこから垂らされたラプンツェルの長い髪を伝って、
日ごと、魔女は塔によじのぼっていく。
ある時、通りかかった王子が、塔の中のラプンツェルに恋をして、
魔女を真似て塔へと通うようになる。
無垢なラプンツェルはたちまち身ごもり、
それを知った魔女は怒り狂い、
彼女を荒野へ放り出してしまう。
何も知らずに訪ねてきた王子は、塔から突き落とされ失明する。
ふいに顔をあげた彼女は、
まっすぐに私を見て、薄く微笑んだ。
怖いお話しでしょ。
彼女があの人の妻だということも忘れ、私は素直に頷いていた。
そう、私は去年知り合ったあの男と、
この一年逢瀬を重ねてきたのだった。
彼に年上の妻がいることは知っていた。
いつの日かこんな日が来るかもしれないと思っていた。
その時には堂々と向き合おう、一歩も退かずに。
そう決めていた。
だがそんな決断は、彼女に会ったとたん、
干からびた蝉の抜け殻のように、呆気なく崩れてしまった。
こんなに魅力的な女を妻にしておきながら、
あの人はなぜ私なんかに声をかけてきたのだろう。
フォークに刺した柔らかな青菜をひらひらさせて、
彼女は言った。
ラプンツェル。
え?
これが、ラプンツェルよ。この青い、ちしゃの葉。
ラプンツェルの母親はね、身ごもっている時に、
魔女の家の庭に繁るラプンツェルの葉を盗んで食べていたの。
それが原因で魔女に赤ん坊を横取りされたのよ。
そう言ったあと、
彼女はオリーブオイルにまみれたその葉を、口に入れた。
てらりと光った唇が、
小さな生き物のように、つかの間ひっそりと蠢(うごめ)く。
母親にしても、魔女にしても、
女って、ヒトのモノを欲しがる生き物なのかしらね。
ひとりごとのようなその言葉に胸を衝かれ、
思わず身構えた私に、
彼女は眉を寄せ、困ったように笑いかけた。
いやね、そんな意味じゃないのよ。
あたし、お説教みたいなこと好きじゃないもの。
寄せた眉を開いて、彼女は何かを確かめるように、
ゆっくりと話しはじめた。
あのね。
魔女は、きっと心から欲しかったんだと思うの。
可愛いラプンツェルが。
本当に彼女のことを愛していたのよ。
塔に閉じこめておかずにはいられないほどに。
だからこそ、彼女が王子と睦み合ったことを許せなかった。
一番可哀想なのは、魔女だったのかもしれない。
ラプンツェルのいなくなった塔を見て、
魔女は、きっと、泣いたわ。
そういえば、あの人は言っていた。
誕生日にねだって泊まった高層ホテルの一室の、
キングサイズのベッドの上で重なりながら。
僕の家も、ここと同じようなものなんだ。
あまりに高すぎて、窓を開けることもできやしない。
時折、硝子戸のすぐ向こうを、雲が流れていくんだよ。
高い塔の天辺に暮らす彼女は、
ラプンツェルなのか、
それとも、魔女なのか。
わたしの胸の内を読んだかのように、彼女が再び口を開いた。
もし、もしも……。
私は首を傾げ、彼女の瞳をのぞきこむ。
もしも、あたしが魔女だったら、王子のことは許してあげるわ。
ふたりが愛しあうことを咎(とが)めたりしない。
だって、そうすれば、ラプンツェルはどこにも行かず、
ずっと塔の中にいるのだから。
辺りの喧噪が、ふいに遠のいていく。
しんと静まった胸の中に、一冊の絵本が浮かびあがる。
細いペン先で細密に描かれた古めかしい西洋の挿絵。
その絵の中で、
妖しく微笑んでいる魔女が、
怒りに狂う魔女が、
そして嘆き悲しんでいる魔女が、
彼女と重なる。
ぼんやりとテーブルを見つめていると、
細い指に挟まれた小さな紙が、私と彼女の間にそっと置かれた。
その指がゆっくりと伸びて、
私のまっすぐに長い髪を静かに揺らす。
あたしなら。
え?
あたしなら、もっと上手にラプンツェルを愛することができるわ。
王子なんかよりも、ずっと、上手に。
動けずにいる私を突き放すかのように、
彼女はふいに腕を引くと、艶やかに笑って立ちあがった。
背を向けて喫茶店の扉へと歩き、音もなく去っていった。
振り向きもしなかった。
私は、まるで置き去りにされた赤ん坊のように心細かった。
彼女の面影を求めるようにして、
テーブルの上の白い紙片を手に取った。
そっと開くと、そこには小さな文字が並んでいた。
彼女の名前と、アドレス、電話番号。
そして、短いメッセージ。
「あした、塔の上で」
白いプレートに残されたラプンツェルが、
ふいに身をよじり、
とろりとしたオリーブオイルに、溺れていく。
その青い葉を指でつまみ上げ、口に入れる。
あした とうの うえで。
アシタ トウ ノ ウエ デ……。
甘く、ほろ苦いラプンツェルを噛みながら、
わたしは、彼女の声を聞いていた。
オリーブオイルにまみれた唇を舐めながら、
呪文のように繰り返されるその言葉を、
うっとりと聴いていた。
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「ミメディア」刊行の際、この作品に寄せて頂いたオススメコメント
◆Uさん
恋する女の、恐れを知らない大胆さと素直さ。
愛する女の、哀しみと執着。
両者の対決が描かれているというのに、この小説は、「童話」なのだ。
穏やかでやわらかい筆使いながら、ひとの性(さが)と情念とを
鮮やかに描き出す、とても哀しい、「童話」なのだ。
愛する男がいる女は、もう自由ではない。決して持続することのない
一時の幸福感が忘れられず、まるで麻薬を求めるように強く愛を求め、
苦しみ、哀しむ。
田川ミメイは、こういう女を、実に美しく描きだす。愛ゆえの絶望や
怒りや苦しみを、美しさと哀しさで包み込んでしまうのだ。
まるで、童話を語る栗色の髪の妻のように。
私は、いつもその余韻に酔ってしまう。
童話の哀しみを受け止めながらも、そこにほろ苦い甘さを見出して、
うっとりしている黒髪の女のように。
◆なるみさん
グリム童話の「ラプンツェル」を題材にした作品です。
「私」の前にいる「彼女」は、「あの人」の妻。
「彼女」の姿・登場場面には、特殊な妖艶さを感じます。
突然、「ラプンツェル」のあらすじと、目の前の皿の上にある
「ラプンツェル」の葉について話し始める彼女。ラプンツェルの母親が、
「ラプンツェルの葉」を盗んで食べた話の意味は?
そして、別れ際に渡された1枚のメモ。
このメモの内容に、彼女の真意が隠されています。
あの人が「王子」で、彼女は?そして、私は?
意外な結末に、驚きます。
オススメ作品です。
(ブログのテキスト幅にあわせて、読みやすいように
改行させて頂きました。ご了承下さい)
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この「ラプンツェル」
初出は、ゴザンス800字小説
「800字」とは、
毎回キーワードとなるコトバ(お題)が3つ出て、
それを入れこんで800字の小説を創る、というものでした。
2週間に一度、編集者が応募作品すべてに目を通し、
その中から選んだ作品をメルマガに掲載し配信する、という企画。
こんなことをやってくれる
「インターネット出版局ゴザンス」というサイトは、
まるでWEB版文章講座のようなテキストサイトでした。
しかも無料で。
ネットライターの書く意欲をかきたててくれる、
優良サイトだったと思います。
残念ながら2004年9月で閉鎖。
また、こういうサイトが出現することを願っています。
で、この「ラプンツェル」は、
「あした」「喫茶店で」「去年知り合った人と」
というお題のときに書いたもの。
ただし800字を超えてます。
このメルマガ以前、ゴザンスは、
書店のレジ横などに置くフリーペーパーを発行してました。
あたしは、それに「オトナの童話シリーズ」として
短い物語を連載しておりました。
そのシリーズを久々に復活させようと、
あえて字数制限を見ないふりして書いてしまった。
ええ。すみませんです。
ミ・メディアに掲載するかも、という時に、
加筆修正したので、元原稿とは少々変っています。
ご了承下さい。
◆元となった童話「ラプンツェル」は、↓こちら。
「魔法の森の女たち(グリム・コレクション 1)」
(「ラプンツェル」収録)
パロル舎・1500円
