
本を読むとき。
あたしは静けさの中にいる。
その小説の世界に入り込んで漂うようにして読むせいなのか、
からだの中はいつもしんとしている。
その物語の中の音だけを聴こうとするらしく、
あたしのからだの中は真空のように静まっているのだ。
だが。
ここのところ、その静けさが降りてこない。
読んでいるときも、文字通り「読んでいる」
コトバを読んでアタマで理解している。
そうやって読んでいると、
耳の奥に、読んでいる言葉が聞こえてくる。
まるで朗読しているかのようで、
その声が、うるさくてわずらわしい。
それでももちろん物語は楽しめるし、
小説として理解できる。
でも、そうやってアタマで読んでいると、
どうやら静けさは降りてこないらしいのだ。
からだの中に静けさが満ちてこない。
苛々する。
その苛立ちの中で、初めて分かったのだけれど、
あたしは書くときも、いつも静けさの中にいるらしい。
周囲にどんな音があろうと、
からだの中は、静けさに満ちている。
その静けさの中に浮ぶ映像の音を聴いて書く。
景色を見て、コトバに変える。
そこにいる誰かの声を拾って文字にする。
そうやって書いている。
だから、静けさが降りてこない、というのは、
あたしにとっては由々しきこと。
こうして書いていても、なんだかもどかしい。
先を急いで、焦って書いているような。
するすると上滑りしているような。
呼吸が整わないのだ。
一輪だけ咲いた梅が、なんだか自分のように思えてくる。
ぽつんとひとり立ちつくし、
春はどこかと耳を澄ます梅。
あたしは静けさを待っている。
冬の中で途方にくれて、春を待ちこがれる梅のように、
静けさが降りてくるのを待っている。
―2005.1.9―
