
小さな社の影には、まだ明け切らない闇が潜んでいた。
のし掛かるような銀杏の大木は、まだ冴え冴えと青く、
色づきもしないまま枝を離れた扇形の葉が、無念そうに舞い落ちてくる。
しっかりと手を繋いだ私達の足元には、膿んだように熟した銀杏の実。
夜明けの青い空気が白々と褪せていくにつれ、
辺りに、交わりの匂いが立ちのぼる。
朽ちゆく実が発しているのか、
それとも自分達の躰から立ち昇っているものなのか。
顔を見合わせ、うっすらと笑う私達は、共犯者だった。
いや、逃亡者だろうか。
隠れ家のような小さな部屋で、互いの躰の奥深くに身を潜め、
現実から逃れようとする逃亡者。
息苦しいほどの匂いに後ろめたさを嗅ぎ取り、どちらからともなく歩きだす。
小径を抜け、新鮮な朝を大きく吸い込む。
と、まるで待ち構えていたかのような、甘く切ない香り。
金木犀。
顔をあげて視線を巡らせるが、それらしき木は見あたらない。
香りを辿って角を曲がる。
右に左に。
指と指を絡ませながら。
こんなところに。
慎ましやかな庭先に、艶やかな葉と金色の花。
小さな星形の花は、何かに怯えるように肩を寄せあい、
重なる葉陰に隠れていた。
顎をあげて、香りをうかがう。
が、花達は口をつぐんだまま、そよと匂うこともない。
首を傾げ、肩をすくめて歩み出すと、再び、甘い風が吹く。
振り向きざまに見あげると、
風に震える花々は、あらぬ方向を見て笑っていた。
あっちだ。
遙か向こうから、微かな香りが手招きをする。
足を早めて近づくと、扉を閉めるように消えてなくなる。
耳を澄ませるようにして香りを探ると、冷えた耳たぶに囁きかける。
肩に触れ、後ろ髪を巻き上げ去っていく。
ここは何処?
さぁ、何処だろう。
金木犀の香りに惑わされ、私達は迷子になった。
甘やかな切なさに唆(そそのか)されて、逃亡者は、
往くあてを失くした。
道に迷った私達は、あの日からずっと、
亡霊のようにさまよい続けている。
800字テーマ「金木犀」
2002.9.3.
