
薄闇の中に、赤いランプが点滅していた。
部屋の灯りをつける気力もなく、薄いカーペットに座り込み、
電話機をたぐりよせ再生ボタンを押した。
「最終電車で帰ります」
女の声だった。
少し掠れた密やかな声が、白い靄に覆われたような頭の中にしんとこだまする。
誰だっけ。
それきり女は黙っている。
誰? もう一度そう思った途端、電話は唐突にぷつりと切れた。
残されたメッセージはそれだけだった。
広告代理店からの採用可否の知らせもなかった。
あんなに私の写真を誉めたくせに。
それにしても誰だろう。
聞き覚えがあるような、ないような声。
誰かと約束をしていただろうか。
いや、そんなはずはない。
売れない写真家の毎日は、約束を忘れるほど立て込んではいない。
やはり間違い電話だろうか。
だとしたら、これは永遠に届くことのないメッセージだ。
哀しいね。
知らぬ間にそう呟いていた。
最終電車が出るホームには、冷ややかな風が吹いていただろうか。
かさかさと震える打ち捨てられた新聞。
白々と明るい車内灯。
夜気を引き裂く発車のベル。
彼女が伝えたかった相手は誰なのか。
恋人。親友。それとも遠く離れた故郷の家族。
母の笑顔が胸に浮かんだ。
夢を追って旅立つ娘を見送る、淋しげな笑顔。
親不孝な娘は、仕事が忙しくてと嘘をつき、この夏も帰らなかった。
仕事なんて、大特価という赤字ばかりがけたたましい
チラシ広告の写真しかないくせに。
ちゃんとした仕事が取れたなら。
その時にはきっと報告に帰る。
そう決めていた。
でも、いつになっても「その時」なんていう「時」は、来そうにもなかった。
最終電車に乗ることにしました。
静かな口調を真似てみる。
鼓膜の奥にこだまする自分の声。
少し掠れた密やかな……。
頭の中の靄が、すっと退いた。
息を詰め、電話機を見る。
かじかんだ指先を伸ばし、そっと再生のボタンを押した。
ひんやりと冷たいカーペットに落ちたその声は、
紛れもなく私の声だった。
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