
リビングの床にぺたりと座って顔をあげると、
窓の向こうにあるのは一面の「空」ばかり。
薄青い冬空を黒い影が横切っていく。
何の鳥? と友人が訊く。
カラス。
そう答えると、え?ほんと?と窓辺に近寄り、彼女は言った。
大空を飛ぶと、カラスもちゃんとしたトリになるんだね。
漢字の「鴉」っていう鳥に。
たしかに街に住むカラスは、鳥ではなかった。
夜の名残の闇のように、ゴミ置き場の隅に黒い影を作り、
異界からの使者のように、黒いマントを翻してニンゲンを脅かす。
大きな翼は折りたたまれ、餌をねらうクチバシばかりが黒々と光っている。
街に暮らしている頃、わたしはカラスが嫌いだった。怖かった。
点滅する信号の上でニンゲンを見下ろしているカラスを見つけると、
そそくさと道を折れ、あの不吉な黒い影から逃げていた。
この土地に越してきて、ひとつき。
いつのまにか、カラスを怖いとは思わなくなっていた。
羽をいっぱいに広げて滑空していくカラスは、たしかに鳥だった。
闇の名残でも、異界の使者でもなく。
この海辺の町の大空には、何種類もの鳥が飛ぶ。
桟橋には、白いゆりかもめが整列し、
空の高見には、ピーヒョロと気持ちよさげに鳴きながらトンビが風にのっている。
鴉は、あそこまで飛ぶのだとでもいうようにトンビを見上げ、
精一杯羽を広げて旋回している。
けなげに、凛々しく。
無限の水を湛える海よりも、空はどこまでも深く、広い。
どこまでも飛んでいける空があれば、カラスだって鳥になる。
いつの頃だったか。
飛ぶ夢ばかりを見ていたことがある。
夢といっても「希望」ではなく、睡魔とともにやってくるあの「夢」だ。
ベッドに横たわったまま、からだがふうっと浮いていく。
天井近くまで浮き上がり、ふと首をねじると、
目を閉じて横たわっている自分が見える。
そう思ったとたんからだはくるりと反転し、
わたしは平泳ぎでもするように、空中をぷかぷかと泳ぎはじめる。
狭い部屋の中を漂っていると、からだが段々窓辺に近づいていく。
潮の流れに吸い寄せられるようにして、窓ガラスの際に着く。
部屋の中は夜なのに、なぜか外は明るく広い大空だった。
カラダは外に出たがっている。
だが、この窓を抜けて、どこへ行くのか。
置き去りにした「自分」はどうなるのか。
窓枠に手を突っ張り、必死に抵抗する。
しまいには泣いて懇願する。
行くのは怖い。ここにいるのだ、と。
臆病なわたしは、闇の名残にたたずむカラスだった。
大空に出て行く勇気も、精一杯羽を広げて飛ぶ自信もなかった。
遙か遠くの稜線に、熟した柿のような夕日が落ちていく。
赤々と染まった夕空を、十字架のようなシルエットをくり抜いて、
鴉(からす)がいく。
飛ぶ空は、果てしなくどこまでも広い。
それでも臆することなく、飛んでいく。
もう一度、
飛ぶユメを見てみようか。
今度こそ、精一杯羽を広げて。
