
[土に還る花](福島聡著「少年少女」2巻より)
「エビスさんは明日も来るかい?」
権藤さんのおじいちゃんが、掠れた声で訊いた。
下着一枚になった権藤さんの枯れ木みたいな腕を持ち上げて、
タオルでこしこし拭きながら、あたしは言う。
「明日は土曜日だからお休みなんですー」
権藤さんの顔が曇るのをを見て、なんだか申し訳ない気持ちになり、
ついつい笑顔も声も大きくなる。
かさかさとひび割れた胸を拭く手に力がこもる。
あのねえ権藤さん、じつはアタシまだ看護婦じゃなくてー、
正確に言うと学生で。見習いなんです。
言い訳みたいに喋りつづけるあたしに構わず、
権藤さんは言葉をつづける。
「俺ぁもう長くねえ。じきに死ぬ…」
えーー?
患者さんのこんな言葉を、あたしは笑顔でうやむやにしようとする。
いつも、そう。
だが権藤さんは負けてない。うやむやになんかしない。
「そこでひとつ頼み事がな」
え?
「アンタの」
はい?
「アンタの女学生姿が見てえんだ」
えぇーーっ?
笑顔をひきつらせたまま、あたしは固まった。
じょ、女学生って。
「……冗談だよ」
じょ、冗談?!
もう! 権藤さんってば。
怒りながら、それでも笑いながら、
権藤さんを向こうにむかせて、背中をこする。
まったくなぁ、呆れたおじいちゃんだわ。
でも嫌じゃない。
この人からは、「いやらしい」っていう感じがしない。
くすくす笑いながら手を動かしていると、
背中を向けた権藤さんが、呟くように、ぽつりと言った。
いつもと違う低い声で。
「俺が死んだら土葬にしてくれ」
ドソー?
ドソーって、あの土葬ですか?
「だってよぉ、火葬ってのはアレだ。熱そうじゃねえか」
そんな。
でも権藤さんは、やめない。
うわごとのように、静かに続ける。
俺ァ、土葬のほうがいいな。
静かでいい……。
休みがあけて、病院に行ったら、
先輩看護婦さんが、いつもと変わらぬ表情でわたしに告げた。
権藤さん、今朝、亡くなったの。
「ご冥福をお祈りしましょう。
エビスさんには今日新しく入られる方の担当をね……」
電卓を叩きながら、今日の天気予報でも告げるような調子で喋る白衣の天使に、
あたしは思わず訊いていた。
「権藤さんは、火葬ですか?」
こんなときでも、笑顔を浮かべているあたしって何なんだろう。
権藤さんのベッドは空っぽで、畳まれた布団が積まれていた。
そこだけが、やけにしんとしていた。
それでもあたしの一日は、何も変わらない。
いつものように微笑みながら患者さんの血圧をはかり、
先輩達の指図ににこやかに従い、
薄笑いしながら書類を書いて、いつものように仕事を終えた。
家に帰り、母さんと父さんににこにこと「ただいま」を言って、
2階の部屋にあがり、ベッドに横になる。
枕元には、あたしの写真。
仔猫を差し出して笑っている。
セーラー服着て楽しそうに。
くたっと死んだ猫と一緒に、
困惑しながら笑っている。
あたしは、よし、と小さく呟いて、起きあがった。
+++++
掟破りを承知で、こんなものを書いてしまった。
実はこれ「少年少女」というマンガの中に収められている一編、
「土に還る花」という短編の一部分なのである。
そう、これは「マンガ」だ。
それを文字に置き換えるとは、なんと無謀な。
だが、思わずそんな無謀な事をしてしまうほど、
このマンガは衝撃的だった。
この福島聡著の「少年少女」を教えてくれたのは、
ゴザンスで「マンガ考」を書かれているサワヤマさんである。
彼は、この本を「分かりやすく言えばブンガク的です」と
紹介してくれたのだった。
確かに、このマンガには、「ブンガク」という言葉がしっくりとくる。
マンガよりブンガクの方が良いということではなくて。
ただこの本には、小説や随筆を読んでいるときと同じような「何か」がある。
そう感じさせるマンガだったのである。
本の帯には、こう書かれている。
「生きる不思議、死ぬ不思議をテーマに、少年少女をとおして
研ぎ澄まされた生死のドラマを描く、生と死のジュヴナイル」
確かに、子どもの目から見た「生」や「死」は可思議なものだ。
ワケが分からない摩訶不思議なもの。
分からないからこそ、少年少女は、「生」に戸惑い、「死」を怖れる。
それでも、未知の世界の中でなんとか答えをみつけようともがき、
時には逃げ、時には対峙する。
ここに描かれているのは、その「戸惑い」と「恐怖」だ。
と言って、暗く難解なマンガでは決してない。
一巻に収録されている最初の作品、「触発」は、
この巻の最後の「錯綜」に繋がっている。
そして、これは2巻のラストの作品へと……。
たった2巻の中の三作であるのに、
「触発」ではまだ小学生であるらしいこの「少女」が、
少しずつ成長していく様は、なんだか感慨深いものがある。
思わず笑ってしまうような子どもの無邪気さ。
無垢な故に残酷で、だからこそ、見知らぬ「生」や「死」、
そして「性」に立ち向かう少年少女が、切なく滑稽で愛おしい。
小説やエッセイを読むとき、読み手はそこにある文章を元に、
頭の中で勝手に「絵」を描いている。
その自分勝手な「想像」(または創造)こそが、
文章を読むことの楽しみである。
だが、マンガには最初から「絵」が描かれている。
アタリマエのことだけど。
それだけに、「想像」の楽しみが消されてしまうような気がする。
しかし、この「少年少女」には、それがあるのだ。
そこに描かれている「絵」の向こうに、片隅に、空白に、
果てしなく広がっている「何か」がある。
その何かがわたしの躰を刺激しつづける。
だからなのだろう。
読みながら、「もしこれを小説として書くとしたら……」と、
思い巡らせてしまったのは。
「土に還る花」を読んだとき、わたしは思わず溜息を吐いていた。
こんな小説が書けたなら、と。
そこには、わたしが少女だった頃から抱えてきた「想い」が描かれていた。
なんとかして、それを文字にしたいと足掻き続けているというのに、
福島聡は、みごとに描ききっていた。
ほんの30数頁で。
なんだか悔しかった。
わたしはPCに向かい、「土に還る花」を文字に置き換えはじめた。
もちろん、こんなことは掟破り、著作権の問題もあると知りながら、
そうせずにはいられなかった。
「土に還る花」をすべて文字に置き換えて、読み返してみると、
やはりそれは、まったく違う世界になっていた。
忠実に再現したつもりだったのに、
わたしが書きたかった「想い」は、そこにはなかった。
なぜだろう。どこがどう違うのだろう。
わたしは、何度も何度も頁を捲り、
いつまでも「少年少女」の世界を漂い続けるしかないのだった。
+福島聡「少年少女」(1巻640円、2巻650円)
+発行 エンターブレイン
実は、「土に還る花」は最初から最後まで、
とにかく文字にしてみたのでした。
ですが、それを全文載せるのにはチト問題ですし、
作者の方に失礼になるのでやめました。
なので、ここに載せた分だけはどうかお見逃しのほどを。
