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食べ物に関しては、耳年増だった。
こんなことで耳年増なんて言うのは、おかしいかもしれないけれど、
でも、実際そうだったのだ。
10代のあたしは、何より「料理の本」が好きだった。
しかも、うっとりと眺めるものは、食卓に並ぶような料理ではなく、
見たことも食べたこともないようなものばかり。

だから、14の小娘にして、フォアグラもトリュフも知っていた。
ビーツだって、アーティチョークだって知っていた。
名前だけは。

とりわけ好きだったのは「洋菓子」の本。
中でも、色とりどりの果物が並んだ「パイ」は、いつ見ても心躍るものだった。
薄く幾重にも重なった、いかにも香ばしそうなパイ生地と、てらてらと輝く果実。
その頃はまだ、パイと言えば「アップルパイ」くらいしか知らなくて、
「洋梨」とか「ブルーベリー」のパイなんていうものが、
町のケーキ屋に並ぶことはなかったのだ。
もちろん、チェリーパイも。

あたしは、そのチェリーパイの写真を、しげしげと見ては首をひねった。
チェリーというからには「さくらんぼ」なのだろうけど、
どうみてもこれは「さくらんぼ」のようではない。
日本のさくらんぼは、もっと小さくて、もっときゅっと身が締まっていて、
「身持ちの堅い娘」のように、どこか初々しいものなのに、
このチェリーパイにのチェリーは何だ。
豊満で、たぷたぷと甘そうで、今にもぐずぐずと服を脱ぎ出しそうな妖艶さ。
材料の記述を見れば「ダークチェリー」と書いてある。
ダークチェリー。

高校に入って、実際に自分でお菓子を焼くようになってからは、
何度か缶詰に入ったシロップ漬けの「ダークチェリー」を買ってきて、
粉まみれになりながら、パイを焼いた。
その輸入物の缶詰は、お小遣いで買うには高すぎるものだったけれど、
どうしても、あの本にのっていたようなパイを焼いてみたかったのだ。
でも、いつもどこか違うような気がした。
缶詰のチェリーは、丸々としてはいても、どこかだらしなく、
瑞々しさに欠けていた。
あの写真のダークチェリーは、たぷたぷと肉厚でありながらも、
歯を立てればぷちんと果汁が飛び散りそうな、
そんな生々しい果実だった。

だから、オトナになって、
初めて生の「アメリカン・チェリー」を見たときには、
思わず、呆然としてしまった。
なんだか幻を見ているような気分だったのだ。
憧れの君に、やっと会えたとでもいうように。

それなのに。
その頃のあたしには、パイを焼く余裕などなかった。
日々をやり過ごすだけで精一杯で、
粉を練る「時間」も、オーブンが熱くなるのを待つキモチの「余裕」も、
持ち合わせてはいなかった。

それでも、とにかく、チェリーを煮た。
濃い赤紫のチェリーとグラニュー糖を鍋に入れ、
深夜の台所で、ことこと煮た。

確かにチェリーは美味しかった。
煮方がまずくて、皮が弾けてしまったりもしたけれど、
でも缶詰とはまったく違う味がした。
新鮮な厚い果肉が、たっぷりと甘かった。

でもやっぱり。
パイのないダークチェリーパイは淋しかった。
いつの間にか、余裕のない大人になっていたことが、
なによりも哀しかった。


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2006.9.23 「トルニタリナイコト」
 
 
 

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